コラム

POPであること。

POPであること。

POPであること。

 

不協和音を奏る。

 

デザインをする上で、POPであるかどうかは大切な要素になっています。

POPを辞書などを見ると、「大衆向け」「時代にあってるさま」とゆうことです。

例えば、クラシック音楽を楽しむには知識・教養が必要だが、K-popなどは感覚的に楽しめる等。

この感覚的とゆう部分が、どれだけ多くの人に受け入れられるかが大事だと言うことだと思います。

その裏にあるコンセプトやスキルはもちろん大事なのですが、ぱっと見の印象が悪ければ興味を持ってもらえません。

それでは、感覚的に魅力あるものを作るにはどうしたら良いのでしょう?

私が思うにそれは「違和感」なのかもしれません。魅力的な物って不思議な違和感を感じたりするでしょ。

どの世界もルールやセオリーが存在します。それは誰もが気持ちいいと感じるためのテクニックだと思います。

しかし気をつけないと、ルールを意識し過ぎて、面白味や新しさを無くしてしまう可能性があります。

だからルールを少し破り、意識的に不協和音を作って引っ掛かりを作ることで魅力を生み出すことをします。

それが失敗することは多々ありますが・・・POPにとって大事なのはルールの破り方で、目先を変えることだと思う。

 

部材であるオクタノルムをデザインに。展示ブースデザインにPOP。

 

 

POPカルチャーの終焉。

 

プライベートでもPOPカルチャーが好きで(今の時代だとPOP=オタクって感じだけど、私の中ではサブカルチャーやカウンターカルチャー)音楽・映画などもメインストリームでもアンダーグラウンドでもなく中間ぐらいに位置している時の「これから」のワクワク感が好きなのかも知れません。

マイノリティーなものが時代の気分をうまくとらえて輝きだし、世間一般に受け入れられPOPの絶頂を迎えたビートルズやニルバーナなどが良い例ですね。売れてしまうと崩壊・衰退していきますが。。。だから中間がいいのです。

しかし今の時代、私が言うPOPの価値観はあまり必要とされていないとも思います。

良いか悪いかは別として、個人単位での価値観が広がり、連帯感などを共有する必要性が無くなった今の社会。

新世代が新しい価値観を作っていく中で、POPは「あの時代は良かった」ってやつになってしまったのか?

遠い目をして若き日を思う。

 

 

 

POP新世代の子供達。

 

目を細めて子供の成長を思う。

そして、つくづく感じる。親の思う通りには何一ついかない事ばかりだと。

興味のあるものをどんどん吸収して、興味が無くなったものは捨てていく。

ルール無用の子供は、積み上げてきたものを手放す勇気がない私へのカウンターである。

息子と遊んでいた時、画用紙に何か描けと私の手にクレヨンを渡してきたのでアンパンマンを描いた。

すると息子は躊躇する事なく、その上から赤いクレヨンでまるでアンパンマンを血祭りに挙げるが如く「キャッキャ」言いながら、真っ赤に画用紙を染めていく。そして、オシッコで重くなったオムツをズリ下げて走り出した。

パンクでアナーキーなその姿に私は彼をリスペクトする。

 

この記事を書いた人

山崎 政男

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